2024/05/13
708 :長文です。:2008/08/28(木) 01:22:20 0
私の祖母は、認知症になり今現在施設にいます。
それは本人の希望でしたし、私が結婚してしまって介護が大変になってしまったから。
簡単に介護って言っても、認知症は言い尽くせないほど大変なのですよ。
私は施設に偏見をかなり持っていましたが、実際見に行くと「あれっ」って感じでした。
明るいし、清潔だし、何より利用者が全員笑っているんです。
祖母もニコニコ笑ってて、何と無く私は寂しいですが、本人が本当に幸せそうなんです。
家にいたときは、世話をしている母との衝突もありました。
母が介護疲れで倒れてしまい、私が泣きながら祖母の下の世話をしたこともありました。
でも、あの時は祖母はだんだん笑うことを忘れていきました。
けど、施設だと皆優しいし、私も母も極力時間が出来たら会いに言ってますので、
幸せそうにニコニコ笑っていて、本当に良かったとは私たちは思うのです。
これは色んな意見はありますでしょうが、これが私たちが取った最良であろう選択です。
トメは、やはり偏見の持ち主。
「おばあちゃんがかわいそうだね!」「虐待じゃないの?」「施設なんて牢獄!」
と、ニタニタ笑いながらいわれますが、夫がカバー。
私は、結構気が強い方なので言い返してたんです。
「そうですね!トメさんは介護なんて私に頼まないでください!
これだけ言って介護されようなんてずうずうしい!」
とか言って、トメをキーキー怒らせていました。
絶縁は夫も考えてくれたんですが、夫と腐っても親子。
盆と正月だけは付き合うことにしていました。
709 :長文です。:2008/08/28(木) 01:23:33 0
去年、母から連絡があり、私の実家へいって来ました。
そこには、何束の手帳。
中身は、祖母の日記帳でした。
最初の日記は昭和から始まり、私が生まれた日のこと、学校へ上がった日のこと。
祖父が亡くなった当時、どんなに祖父の事を愛していたかということ。
反抗期に私が祖母へ何気なく言い放った暴言に「悲しい」とつづられていたこと。
全部読んで、涙をダラダラ流してしまいました。
最後の日記は、とても驚きました。
認知症が発覚してしばらくした頃、祖母が一人で電車に乗ってお寺へいったんですが。
その時、まだ家族も「認知症って…どういうの?」ってレベルであまり判らなかったんです。
が、甘かった!祖母は迷子になってしまいました。
その時の事が書いてあり、「不安だった。○○(私)には特に心配かけた」とありました。
文章も、凄く綺麗な字を書く人だったのに、小学生みたいな字。
感じもめっちゃくちゃで、「何語なんだよ…」って言うような字やらミミズのような字。
でも、一番最後に読み取れたのが「私がもっとしっかりしなきゃいけない。」でした。
それを見たとたん、母と抱き合って泣きました。
不安だったんだ!怖かったんだ!と、今更ながら本人の気持ちを察することが出来ました。
母に、「お前、一番おばあちゃんと仲が良かったからこれ持ってけ。」と、手帳をもらいました。
その手帳は、大事に大事に、寝室のタンスの上の引き出しに入れておきました。
で、お盆に偽実家(近距離)へ行く予定だったんですが、その前にTELでトメに呼び出されました。
私だけ一人で来いと。一応夫に相談しましたが、「辞めとけ。」との事。
でも、「いいもの見せるわ」って何か含みのある事言ってたので、夫同伴でいって来ました。
続きます…